笑うのは普通の子より早かった。
映画『種をまく人』は、長年追い求めてきたヴィンセント・ヴァン・ゴッホの人生と、東日本大震災の直後に被災地で見た一輪のひまわり、そして震災の翌年に誕生したダウン症の姪との関わりによって生まれました。
2011年夏、私は友人とともに東北の被災地を訪れました。東日本大震災の津波によって倒壊した家屋や木々、津波の威力を物語る瓦礫の山を前に私たちは打ち拉がれ、荒廃した土地をただ黙って歩き続けました。 一体どれくらい時間が経ったのでしょう。疲れ果てて腰を降ろすとそこに一輪のひまわりが咲いていました。 誰かが植えたものなのか、波に流された種が自生したものなのかは分かりません。ただ一つだけ確かなのは、そのひまわりが私の心に何かを残したという事実だけでした。 「津波は多くのものを奪い去ったが、この花は津波が運んで来たものなのかも知れない。」 そう思うと、ひまわりとの出会いが特別なことのように感じられました。
そして撮影の年の6月、私たちは、宮城県仙台市の若林地区に約2000粒のヒマワリの種を植えました。 震災の傷跡を残した状態の荒れた果てた土地を一から耕し、肥料を撒き、種を植えました。
その後も定期的に若林地区を訪れ、草引きや追肥、水やりを行い、そんな育成作業は本編の撮影開始ぎりぎりまで続きました。 やがて度重なる危機に瀕しながらもひまわりは育ち、開花を迎えた8月の半ば、無事にラストシーンを撮り終えることが出来ました。
早いもので震災からすでに9年が経とうとしています。
時の流れは景色を変え、人の感情もゆっくりと変えていき、やがて震災での記憶を薄れさせていきます。
私たちが種を植えた場所の周辺は、復興事業の工事によって土が運ばれ、現在は見る影も残されていません。
しかし、過ぎ去った記憶や失われた光景は、私たちの映画の中に確かに残されています。
35ミリフィルムの中に刻み込まれたその失われた光景を、一人でも多くの方々に届けたいと願っております。
そして撮影当時3歳だったダウン症の姪も、来年には年8歳を迎えます。同じ年代の子供たちと比べると成長のスピードがゆっくりではあります。それでも彼女なりのペースで感情の表し方を覚え、コミュニケーションの取り方を身につけ成長しています。
彼女の屈託のない笑顔は、本当に私たちの心を癒してくれます。
彼女の無垢な心、その笑顔に触れるたび、人間の存在価値とはいったい何なのか、生きるということは何なのか、といったことを考えさせられます。
映画『種をまく人』を通して、障害と個性、そしてそれを受け入れる家族や社会、人のあり方について今一度考えたいという欲求がこの映画を企画した目的でもあります。
そして今回、本作に出演しているダウン症の姪と、それを取り巻く人物たちの苦悩と葛藤を通して、個性とは何か、生きるとは何か、そういったことを少しでも考えるきっかけを持って頂ければ嬉しく思います。
『未来には、より大きな愛がある。だから我々は喜び、来たるべき生活を信ずるのだ。』
《「ゴッホの手紙」より》